2014年4月23日水曜日

「手書きで日記を書く」ということ

忙しい毎日を過ごしていると、日々の中で何を大事に過ごしたいと自分が願っているのか、あるいは自分がどんな感じ方をする人間なのかということを、ときどき見失うような怖さがあります。そんなときに私は、手書きの日記を書くようにしています。

好きなノート。好きな万年筆。好きな色インク。好きな音楽CD。好きなエスプレッソ。好きなお香の香り。好きな観葉植物。
そうしたたくさんの好きなものを組み合わせて、日記を綴ります。

キーボードを使ってパソコンにこういう文章を綴るのと違って、手書きはとにかく、まどろっこしいです。タイプするほどのスピードでは書けないし、うっかり者なので書き損じも多いし、インクで書いているから塗りつぶすなりして修正を施して次に続けていくしかないし。便利か不便かと言えば、万年筆で手書きで日記を書くという営みは、不便です。ばかばかしいほどに、不便です。

それでも、生きている自分の生身の体感としては、その不便さにすごくほっとする瞬間が宿っているのも、私としては、事実です。効率重視の日中をすごし、その疲れをほぐすために、敢えて不便で、そして効率的とは言えない手書きの日記を綴る。そんな効率に逆行する時間の中にこそ、「ああ、自分ってこういう人間だったよなあ」と思い出す瞬間が詰まっているのも、不思議なものですね。むしろ、日中に便利な器具を使いまくって生産活動に勤しんでいること自体が、生き物としての自分の生のテンポからしたら、早すぎるのかもしれないですね。
パソコンとキーボードというふうに手早く文章が書けて簡単に遂行ができるツールがあることも、自分の生活にとっては切っても切り離せない恩恵です。でも、それとはまた違った文章の練り方も通して、自分らしい感覚を見つめ直し続けていきたいなあと思い、今日も私は手書きで日記を書き続けます。大昔からしたら万年筆やらノートやら自体が便利な器具であることに違いはないのでしょうけれども、手近な私の愛用品達は、私に今日もほっとする時間をもたらしてくれています。


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